じゃあブログ書きますね

左のキャンタマは右のキャンタマより左にある

#宇多田ヒカルxサントリー天然水 と母ヒカルの罪と罰

宇多田ヒカルが復帰後何故か爽やか路線に変更してイル。

宇多田が爽やかではない、とは言わないが言いようのない違和感がある。

 

1998年。ファーストアルバム『First Love』で鮮烈なデビューを飾った宇多田。

これまでの日本ポップス界に例のない歌唱力、特にネイティヴなイングリッシュのスピーキングにマイイヤーがビッグにグロウイング(・∀・)

独特な歌詞のスタイル、愁いを帯びた東洋美人的な雰囲気でワッツアップメーンなノリ。「西川貴教かよ!」と突っ込みたくなる激しいビブラート。

彼女は聴くもの全てを魅了した。

 

そして紀里谷和明氏との出会いで完全に開花した、と私は思っている。

ミリオンヒットメーカーである宇多田は完全なるメジャーの女王である。

だがそれでもどこかにステルスメジャーを感じていた。

いうなれば、テレビにも出れる平沢進的存在。

それを映像美で見事に再現してくれたのが紀里谷氏だったと思う。

まるでドラッグムービーや明晰夢の世界のような色彩と造形。

宇多田の神秘性は200%引き出された。

元々の歌詞のオリジナリティや類のない歌唱力(表現力と言ったほうがいいかも知れない)が、更に宇多田ワールドを加速させ、彼女の歌は爆発的に世界に広がった。

彼女の魅力はそういったオリジナリティで、プライベートでの天然っぷりもまた、その魅力を補強していた。

 

なんやかんやあって休養からの復帰。

彼女の魅力は些かも色褪せてなかった。驚くべき事だ。

しかし、今回のCMのような”爽やか路線”は果たしてどうなんだろうか。

 

例えば平沢進が爽やか路線になるだろうか。

猫を追う老人にはなるしなっているが、爽やかさを誰も望んでいないと思われる。

何故なら、爽やかなアーティストは腐るほどいるが、宇多田や平沢はふたりとして同じアーティストがいないからである。

路線を考えるまでもなく、存在そのものが路線となり道となる。

そういう存在が宇多田ヒカルなのだと思う。

 

そうすると当然、今の宇多田の自然体が爽やかであるならば、それが宇多田であり何も問題ないのだが、カラオケでは女子からマイク奪ってでも宇多田を歌う宇多田ファンとしては、「セレブと結婚して離婚してママタレとして料理本出しますぅ」的な、一山いくらの使い捨てタレントのような雰囲気は微塵も感じたくないわけであります。

 

母となり様々な経験を重ねた大人の宇多田ヒカル

それはそれで確かに魅力的だと思います。

ですがそれだけではなく、これまでのクレイジーな宇多田も、

また見せて頂きたいなあと、思うのです。

 

御清聴ありがとうございました。