じゃあブログ書きますね

左のキャンタマは右のキャンタマより左にある

奇人 山本太郎概論

今日は少し、アジャコング&戸塚ヨットスクールズの話をしたい。

1990年、天才たけしの元気がでるテレビにおける人気企画「ダンス甲子園」。

当時、高校生とは思えないレベルのダンサーが多く登場する中で、

ヘタすると一番会場を沸かせていたのが彼らだった。

私自身、当時は腹を抱えて笑っていた記憶がある。

それがこちら。


ダンス甲子園 山本太郎 メロリンQ ストロベリーQ

 

今観てみると、まあ面白くないワケでもないが、腹は抱えないわけで、

ある種、深夜に考え付いたギャグは朝見ると結構つまらない現象のようなものだったのかも知れない。

 

山本太郎という人物は、知性やスキルで芸能界デビューしたわけではなく、

なんかおもろい兄ちゃんとしてデヴューをし、その後もなんか存在感ある俳優さんとして芸能活動をされていた。

たまにおもろい事いう気さくで純朴なにいちゃん。そんな感じ。

バラエティのノリもできる俳優や歌手の枠に間違いなく入っていたと思う。

TMの西川くんや大泉洋と同じ枠である。

 

彼の運命が大きく変わったのは東日本大震災。福島の原発事故を受け、脱原発を訴え始めた。

その主張の性質上、左寄りの政治家らや論客に重宝され、いや重宝されたかどうだかは定かではないが、とにもかくにも、左寄りの政治家として現在にいたる。

 

彼の様々な問題行動や発言はここでは羅列しない。書ききれないし疲れる。

中にはデマも存在するが、なんかおもろい兄ちゃんがいきなり政治家になったわけだし、メロリンキューだし、多少の奇行はご愛嬌。当初の世間の反応も「おwたろちゃんやっとんなw」ぐらいだったのではないか。

当然ながら右寄り連中にとっては、特に天皇陛下に手紙直渡し事件は到底見過ごす事のできない大事件だったであろうから、山本太郎へのバッシングは過熱していった事も確かだった。

だが、例えパフォーマンスと揶揄されても、国会での御焼香パフォーマンスは面白かったし、私のような無責任な人間らは「いいぞたろちゃんwwwもっとやれww」とむしろ賞賛されもしていた。

 

客観的にみて、山本太郎という政治家は欠陥しかない。右傾化が危惧される社会の中で、そのバランサーとして左傾化する政治家が増える事事態は健全な事だと思う。

しかし現状、正しく左傾化している政治家は少なく、左翼なのか反日なのか、単なる政権に対する抵抗勢力なのか、政策も主張もチグハグな連中の中に山本太郎もカテゴライズされている事は、果たしてどうだろうと思う。

その一方で、山本太郎は正しく左傾化できているのだろうか。

 

 


【偽装社会】警察、検察、公安調査庁こそがテロ組織の飼い犬 正体はテロ組織の諜報機関 国民のために意見を言う団体を監視する機関 テロ防止は大嘘で逆 創価学会、統一教会、米国勢力の手下 後半は全編

 

 

テロ等準備罪はテロ対策としては全く意味のない法案だという事は異論はないだろう。

それは水際対策の強化について全く実行しない政府の態度から明らかで、この法案はそれ以外、おそらくマネロン一本釣り、政権にとって不都合な組織を根こそぎ刈るための法案である。その点において山本太郎ちゃんの主張はとても真っ当に見える。あのメロリンキューが立派になったものだ。

しかし、果たして主張にあるように、一般市民に被害がでるようなものかどうかは、少し考察が必要だと思う。

少なくとも、野党が躍起になって反対する理由は、この法案によって自分たちがやられる可能性があるからではないか。

ではないか、という疑問でしかないが、もしも山本太郎が、そのあたりの疑問を野党にぶつけるぐらいの、完全な左翼、完全な地球市民脳、与党も野党も関係ない、世界はメロリンキューが支配する、ぐらいのサイコに成長してくれる事を望む。

 

なんかおもろい兄ちゃんが政治家になって、なんか綺麗ごとほざいてるけど、

まあなんか憎めないし、たまにメチャクチャやってるけど、他の反日野党とは全然つるまないし、言ってる事最近意外とまともになってきてね?

 

ぐらいにはなってほしい。

 

どうせ国会は茶番の繰り返し。

パフォーマンス上等。たろちゃん。やっておしまい。

そう言いたくなるほど、見事な街頭パフォーマンスだったと思います。

 

 

 

 

 

#宇多田ヒカルxサントリー天然水 と母ヒカルの罪と罰

宇多田ヒカルが復帰後何故か爽やか路線に変更してイル。

宇多田が爽やかではない、とは言わないが言いようのない違和感がある。

 

1998年。ファーストアルバム『First Love』で鮮烈なデビューを飾った宇多田。

これまでの日本ポップス界に例のない歌唱力、特にネイティヴなイングリッシュのスピーキングにマイイヤーがビッグにグロウイング(・∀・)

独特な歌詞のスタイル、愁いを帯びた東洋美人的な雰囲気でワッツアップメーンなノリ。「西川貴教かよ!」と突っ込みたくなる激しいビブラート。

彼女は聴くもの全てを魅了した。

 

そして紀里谷和明氏との出会いで完全に開花した、と私は思っている。

ミリオンヒットメーカーである宇多田は完全なるメジャーの女王である。

だがそれでもどこかにステルスメジャーを感じていた。

いうなれば、テレビにも出れる平沢進的存在。

それを映像美で見事に再現してくれたのが紀里谷氏だったと思う。

まるでドラッグムービーや明晰夢の世界のような色彩と造形。

宇多田の神秘性は200%引き出された。

元々の歌詞のオリジナリティや類のない歌唱力(表現力と言ったほうがいいかも知れない)が、更に宇多田ワールドを加速させ、彼女の歌は爆発的に世界に広がった。

彼女の魅力はそういったオリジナリティで、プライベートでの天然っぷりもまた、その魅力を補強していた。

 

なんやかんやあって休養からの復帰。

彼女の魅力は些かも色褪せてなかった。驚くべき事だ。

しかし、今回のCMのような”爽やか路線”は果たしてどうなんだろうか。

 

例えば平沢進が爽やか路線になるだろうか。

猫を追う老人にはなるしなっているが、爽やかさを誰も望んでいないと思われる。

何故なら、爽やかなアーティストは腐るほどいるが、宇多田や平沢はふたりとして同じアーティストがいないからである。

路線を考えるまでもなく、存在そのものが路線となり道となる。

そういう存在が宇多田ヒカルなのだと思う。

 

そうすると当然、今の宇多田の自然体が爽やかであるならば、それが宇多田であり何も問題ないのだが、カラオケでは女子からマイク奪ってでも宇多田を歌う宇多田ファンとしては、「セレブと結婚して離婚してママタレとして料理本出しますぅ」的な、一山いくらの使い捨てタレントのような雰囲気は微塵も感じたくないわけであります。

 

母となり様々な経験を重ねた大人の宇多田ヒカル

それはそれで確かに魅力的だと思います。

ですがそれだけではなく、これまでのクレイジーな宇多田も、

また見せて頂きたいなあと、思うのです。

 

御清聴ありがとうございました。